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REOスピードワゴン( REO speedwagon )
1967年イリノイ州で結成され、1971年にデビューしたアメリカのロック・バンド
代表曲には" Keep On Lovin'n You " " Can't Fight This Feeling "
" In Your Letter "などがある

デビュー当初から年間300本に及ぶツアーで、アメリカ国内のクラブや高校を
回る地道なライヴ活動を展開し、ブレイク前は" アメリカで最も売れていないが
長続きしているバンド "と評されるほどであったが、キャッチーなメロディ
爽やかなヴォーカルで大きな成功を収めた

1991年10月に解散したが、1992年後半に再結成を果たし
現在も活動を続けている

❄ 現在のメンバー ❄
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Key:ニール・ドーティ Neal Doughty 唯一のオリジナルメンバー
Vo,G,Piano:ケヴィン・クローニン Kevin Cronin 1973年脱退、1976年再加入
B,Vo:ブルース・ホール Bruce Hall 1978年加入
Ds:ブライアン・ヒット Bryan Hitt 1990年加入
G:デイヴ・アマト Dave Amato 1990年加入

元メンバー
B:グレッグ・フィルビン Gregg Philbin オリジナルメンバー 1977年脱退
Ds:アラン・グラッツァー Alan Gratzer オリジナルメンバー 1988年脱退
G:ゲイリー・リッチラス Gary Richrath オリジナルメンバー 1989年脱退
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❄ バンド名の由来 ❄
アメリカ自動車会社" レオ・モーター・カー・カンパニー "で1930年代に
生産されていたモデル" スピードワゴン( Speed-Wagon )に
ちなむという
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実写のレオ・スピードワゴンは、日本国内では石川県小松市の
" 日本自動車博物館 "において見ることができる

> デビュー前 <
イリノイ州の同じ大学に通っていたニール、アラン、ゲイリーの
3人が中心になり1968年に結成

> 1971年 <
ファーストアルバム「 REOスピードワゴン 」でデビュー
しかし、その直後、ヴォーカルのテリー・ルトゥレルを強制解雇
ロック史上稀に見る、" とうもろこし畑に置き去りにする "という
解雇方法が取られた

> 1972年 <
2代目ヴォーカルとしてケヴィン・クローニンが加入した
加入のいきさつについては下記のようなエピソードがある

もともとは、バンドのメンバーを斡旋する仲介業者としての仕事をシカゴでしていたケヴィン
そんな中、テリーが抜けて困っていたゲイリーが「 新しいメンバーを探してくれ 」とケヴィン
の勤める会社に依頼したのだが、ゲイリーはなぜか自分たちのバンド名を伏せたままで
ケヴィンに教えようとしなかった 困ったケヴィンは一計を案じ、ゲイリーに「 俺のアパート
に来れば、お探しのアーティストに合わせてやる 」とゲイリーを誘い出した
( もちろん、ゲイリーを誘い出すための連絡なのでケヴィンはヴォーカリストを見つけていない )
そしてケヴィンの部屋にゲイリーが入ってくるなり、ケヴィンはエルトン・ジョンの曲を熱唱
し出した 結果、その歌声を気に入ったゲイリーがケヴィンに「 ヴォーカルになってくれ 」と
依頼し、ケヴィンはこれを快諾 こうしてケヴィン・クローニンは" 歌がうまくて、曲が書ける
ヴォーカリスト "としてバンドに迎えられる


新メンバーのケヴィンを迎えて、2枚目のアルバム「 REO/T.W.O.」を
この年の12月にリリース

> 1973年 <
3枚目のアルバム「 ライディング・ストーム 」のレコーディング中、プロデュー
サーのビル・ハルヴァーソンの妻の真っ白なカーペットに、新メンバーの
ケヴィンが赤ワインをこぼしてしまい、その妻が激怒
この問題を収拾するために他の4人のメンバーは数日間の話し合いを持った

結果、ケヴィンをクビにし、新しいヴォーカルを迎えるという結論に達した
今度はケヴィンがこれに激怒、クビを宣告される前に自らバンドを脱退
すでに刷られていたアルバム・ジャケットからケヴィンの姿はキレイに
消された 残されたメンバーは3代目ヴォーカル、マイク・マーフィーを
加入させ、ヴォーカルのレコーディングをし直すことになった
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> 1974年 <
さまざまなトラブルの末、3枚目アルバム「 ライディング・ストーム 」をリリース
同年11月、4枚目のアルバム「 ロスト・イン・ア・ドリーム 」をリリース
このアルバムの表題作でもある" ロスト・イン・ア・ドリーム "はマイクと
後に加入する、ブルース・ホールが共作している

> 1975年 <
5枚目のアルバム「 ディス・タイム・ウィ・ミーン・イット 」リリース
アルバムリリース後に、3代目ヴォーカルのマイク・マーフィーが脱退
バンドを離れていたケヴィン・クローニンが" キープ・プッシン "という
デモテープをバンドに送る
これがきっかけとなり、ケヴィンはバンドに復帰する

> 1976年 <
この年の1月にロスアンゼルスのレコード・プラント・スタジオでケヴィンと
ほかのメンバー4人でレコーディングを行う そしてこのレコーディングで
生まれたのが「 REO 」というアルバムで同年6月発売
この作品からケヴィンがバンドへ正式に復帰する
その後バンドは10か月間のツアーを行う

> 1977年 <
5月、7作目にしてライヴアルバム「 ライヴ~嵐の中へ 」リリース
このライヴアルバムは2枚組ライヴアルバムとして、初のゴールド
ディスクを獲得する
先に挙げたツアー終了と同時にベーシストのグレッグが脱退

> 1978年 <
2代目ベーシスト、ブルース・ホールが加入
これによりニール、ゲイリー、アラン、ケヴィン、ブルースという
バンドの黄金時代の役者が全てそろう
4月、8枚目のアルバム「 ツナ・フィッシュ 」リリース
この中の" ロール・ウィズ・ザ・チェンジズ "と" 出発の時 "が
シングルとしてもヒット

> 1979年 <
8月、9枚目の「 ナイン・ライヴス 」リリース

> 1980年 <
初のベストアルバム「 ディケイド・オブ・ロックンロール1970~1980 」リリース
バンド名の知名度は徐々に上昇していたが、この時期メンバーの
生活は破綻寸前だった 次のアルバム「 禁じられた夜 」からの
先行シングルとして" キープ・オン・ラヴィング・ユー "がリリース
12月、11枚目のアルバム「 禁じられた夜 」をリリース

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> 1981年 <
アルバム「 禁じられた夜 」が、それまでビルボードのアルバムチャートで
8週連続全米№1を獲得していたジョン・レノンの「 ダブル・ファンタジー 」
を№1から叩き落した その後15週連続№1を獲得し、売り上げも最終的に
1,000万枚を突破した そして、この年の年間アルバムチャートでは
「 ダブル・ファンタジー 」を抑えて年間第1位を獲得した

アルバムからの先行シングルとなった「 キープ・オン・ラヴィング・ユー 」は
同年3月21日付のビルボード・シングルチャートで全米№1を獲得した
この年の年間シングルチャート第10位にもなった

> 1982年 <
7月、12枚目アルバム「 グッド・トラブル 」リリース

> 1893年 <
12ぶりに本格的なオフ期間を設けた

> 1984年 <
11月、13枚目アルバム「 ホイールズ・ア・ターニン 」リリース

> 1985年 <
先に挙げたアルバムからシングルカットされた" 涙のフィーリング "が
3月9日付~3月23日付のビルボード・シングルチャートで3週連続
№1を獲得 このミュージックビデオは「 一人の男が生まれ、成長、
そして結婚し子供が生まれ、さらにその子供が独立 そして夫婦は
年老いていき、夫は最愛の妻に先立たれる 」というストーリーに
なっている このビデオでケヴィンは、特殊メイクを用い最後の老人
役で出演している

同年7月31日に行われたライヴエイド( フィラデルフィア・JFKスタジアム )に
出演 " 涙のフィーリング " " ロール・ウィズ・ザ・チェンジズ "を披露
" ロール~ "では同じく出演していたビーチ・ボーイズやほかの出演者が
コーラスを担当している
14枚目のアルバム「 ベスト・フット・フォワード 」リリース

> 1987年 <
2月、黄金期のメンバーでレコーディングされた最後のオリジナル
アルバム「 人生はロックンロール 」をリリース

> 1988年 <
6月、2枚目のベストアルバム「 ザ・ヒッツ 」をリリース
その中の新曲" アイ・ドント・ウォント・トゥ・ルーズ・ユー( 涙のルーズ・ユー ) "
" ヒア・ウィズ・ミー "がゲイリーとアランがバンドメンバーとしての最後の
レコーディングとなる このリリース直後、ドラムのアランが脱退
元サンタなのグラハム・リアーが加入


> 1989年 <
バンドの中心的存在だったギターのゲイリー・リッチラスが脱退
バンドは後任ギタリストとして、元プレイヤーのマイルス・ジョセフを迎えた

> 1990年 <
グラハムとマイルスが脱退

> 現在 <
現メンバーでツアーを中心に活動中



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