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ピンク・フロイド( Pink Floyd )はイギリス出身のロックバンド
サイケデリック・ロックやブルース、フォークなどを織り交ぜたオーソドックスなロックに、けだるい叙情と幻想的なサウンドを
醸し出させた音楽性、大掛かりな仕掛けとスペクタクルに富んだライヴ、現代社会における人間疎外や政治問題を
テーマにした文学的、哲学的な歌詞で世界的に人気を博した

「 狂気 」は5,000万枚、「 ザ・ウォール 」は3,000万枚、そして「 炎~あなたがここにいてほしい 」は2,300万枚のセールスを
記録し、レコード・CD総売り上げは2億3,000万円と、商業的にも大成功を収めた
プログレッシヴ・ロックの代表格として扱われることが多いが、クラシック音楽やジャズをバックグラウンドに卓越した
テクニックを披露する技巧派ではなく、その音楽のもつ" 浮遊感 " " 倦怠感 "、幻想的なサウンドは、ロックの
アグレッションから離れつつ、独自の緊張感と高揚に結びついている革新的なものであった
彼らの音楽性はジ・オーブやKLFなどのエレクトロニカのアーティストにも大きな影響を与えている
「 ローリングストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト 」において第51位


1965年、建築学校(現ウェストミンター大学)の同級生であったロジャー・ウォーターズ、リチャード・ライト、ニック・メイスンの
3人は現代音楽に関して論争を交わしたことがきっかけで" シグマ6 "というバンドを結成した 当時はロジャーがギターを
担当し、前述の3人のほかにクライヴ・メットカーフ(ベース)、キース・ノーブルとジュリエット・ゲイル(共にヴォーカル)が
メンバーとして加わっていた その後、ティー・セット、アーキテクチュアル・アブダブズと次々に代えながら活動を続けるが
行き詰りながら活動休止 同年後半、ウォーターズ、メイスン、ライトの3人は旧友のシド・バレットとギタリストのボブ・
クロークスを誘い、バンド名を" Pink Floyd Sound "に改めて再出発を図る
( これは、バレットの好きだったピンク・アンダーソン( Pink Anderson )とフロイド・カウンシル( Floyd Council )という二人の
アメリカのブルース・ミュージシャンの名前から拝借したもの )

当初はブルースのほかに、ローリング・ストーンやザ・フーの曲をコピーして演奏していたが、やがて即興演奏やライト
ショーなどを導入し、独自の道を歩みだす 純粋なブルースを志向していたボブ・クロークスは方向性の違いからバンドを脱退
代わってバレットがリード・ギターを担当する こうやってバンドは、バレットの感性をグループの軸に据えるようになった

なお、ボブが脱退した際に、バンド名を" Pink Floyd Sound "から" Pink Floyd "に改名した
バンド名を短くしたのは、当時のマネージャーの進言によるものだった
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Pink Floydは、サイケデリック・ロック全盛の時代にクラブUFOといったアンダーグラウンド・シーンで精力的にライブ活動を
展開する バンドは徐々に認知度と評価を高め、複数のレコード会社による争奪戦の末、EMIと契約を結んだ

1967年、シド・バレット作のシングル" Arnold Layne "でデビュー
歌詞が" 下着泥棒 "を示唆するものであったためラジオ・ロンドンでは放送禁止に指定されたが、全英20位のヒットとなる
続くセカンド・シングル" See Emily Play "は全英6位のヒットを記録する
同年、1stアルバム「 The Piper At the Gates of Dawn( 夜明けの口笛吹き )をリリース
このアルバムをレコーディングしているとき、ちょうど隣のスタジオでビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ
クラブ・バンド」を製作しておりメンバーはビートルズのレコーディングの様子を見学した

当初、Pink Floydはバレットのワンマン・バンドであった
しかし、過度のLSD摂取によってバレットの奇行が目立ち始め、バンド活動に支障をきたし始める 翌1968年には彼の
役割を補う形でデヴィッド・ギルモアが加入し、一時的にPink Floydは5人編成となる バレットはライヴには参加せず
曲作りに専念してもらおうとの目論見だったが、それすら不可能となるほどバレットは重傷だった
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結局、バレットは1968年3月にバンドを脱退
Pink Floydはウォーターズ、ライト、メイスン、ギルモアの4人編成で再スタートすることになった
バレット脱退後、当初はシングル向けの曲も数曲作ったが、バンドは方針転換をしてサイケデリック・ロックから脱却し
より独創性の高い音楽を目指すようになる また、シングルもイギリスでは1968年発表の" It Would Be So Nice "(ライト作)
以降はリリースしなくなった 彼らはそれまでの直感的な即興音楽ではなく、建築学校出身の強みを生かした楽曲構成力に
磨きをかけていった こうして発売された2ndアルバム「 A Saucerful of Secrets( 神秘 ) 」は12分のインストゥルメンタル曲
であるタイトル曲" A Saucerful of Secrets "を収録している

1969年発表の「 MORE( モア ) 」は、バーベッド・シュローダー監督の映画" More "のサウンド・トラックとして制作された
この頃のバンドはテレビ映画などのサウンド・トラックも担当していた スタンリーキューブリックが1968年に発表した映画
" 2001年宇宙の旅 "ではPink Floydに音楽制作の依頼が来ていたという話が伝わっている
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続く1969年発表の「 Ummagumma( ウマグマ ) 」は2枚組で、ライヴとスタジオ・レコーディングで構成されている
当時のバンドは精力的にライヴ活動を繰り広げており、そのライヴ・パフォーマンスの一端が窺える スタジオアルバムは
4人のソロ作品である 当時バンドはライヴで" The Men/The Journey "なる組曲を演奏しているがこの組曲は既に
発表されている曲を組み合わせたものであり「 Ummagumma 」収録のスタジオ・テイクの一部も組み込まれている
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1970年には「 Atom Heart Mother( 原子心母 ) 」を発表
本作は1位を記録し、批評家筋からも絶賛されるなど音楽的、商業的に成功を収める
タイトル曲" Atom Heart Mother "は収録前に前衛音楽家のロン・ギーシンを招き、オーケストラ( 正確にはブラス
アンサンブルにチェロを加えた編成 )を全面的に取り入れた23分にもわたるロック・シンフォニーである

本作以降、Pink Floydはプログレッシヴ・ロックを代表するバンドとして認知された


続く1971年発表の「 MEDDLE( おせっかい ) 」は、セールス面では前作「 Atom Heart Mother 」に及ばなかったが
バンドが音楽的に大きく飛躍するきっかけとなった作品である 23分を超える大作" Echoes "が収録されている
バンドはこの" Echoes "の誕生をもって「 初めてバンドがクリエイティビティを獲得した 」と認識している
1971年8月には初来日し、音楽フェスティバル" 箱根アフロディーテ "などでコンサートを披露した

1971年11月に「 MEDDLE 」ツアーが終了すると、バンドは次のアルバム制作に取り掛かった
制作に先立ちウォーターズは、新作のアルバムテーマとして" 人間の内面に潜む狂気 "を描くことを提案する バンドは
このアイデアをもとに組曲を作り上げ、それは翌1972年1月からのコンサートから" A Piece Assoreted Lunatics "という
タイトルで披露された これが後に大ヒットアルバムとなる「 The Dark Side of the Moon( 狂気 ) 」である
バンドは1972年1月からイギリスを皮切りにコンサート・ツアーを開始、1972年3月には2度目の来日を果たしている
こちらでも「 狂気 」の組曲が披露された

バンドは「 The Dark Side of the Moon( 狂気 ) 」の制作と並行して、1972年2月下旬から再びバーベット・シュローダ監督の
映画" La Vallee "のサウンド・トラックも担当 フランスに赴き約2週間で「 Obscured by Clouds( 雲の影 ) 」を完成
こちらは全米46位を記録し、ウォーターズ作の" Free Four "がシングルカットされている
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1973年3月、コンセプト・アルバム「 The Dark Side of the Moon( 狂気 ) 」を発表
本作はウォーターズが歌詞を全面的に担当した初めての作品となった また、Pink Floydのアルバムに歌詞が掲載
されたのはこの「 The Dark Side of the Moon 」が初めてだった 発売と同時にシングルヒットした" Money "とともに
全米1位を記録するなど全世界でヒットを記録、音楽的にも商業的にも大成功を収める


こうして、Pink Floydは一躍スターダムにのし上がった

これ以後、Pink Floydを取り巻く環境は一変する コンサートの観客数は大幅に増え客層も変わっていった
このことはバンドメンバー、特にウォーターズを大いに苛立たせることになり、1973年にコンサート・ツアーを終えると
バンドは長期休暇に入った

1974年に入り、バンドは「 The Dark Side of the Moon 」に続くアルバムのレコーディングを開始する
当初は楽器を一切使わずにワイングラスや輪ゴムなどの日用品を使って演奏する組曲" Household Object "の制作を
試みたが結局は断念した その後、6月にフランス、11月にイギリスでコンサート・ツアーを行った

新曲" Shine On You Crazy Diamond " " You've Gotta Be Crazy " " Raving and Drooling "などが披露され、次の
アルバムではこの3曲を収録することが決まりかけていたが、これら新曲を披露したコンサートを収録した海賊盤
「 British Winter Tour 」なるアルバムが大いに売れてしまったため" You've Gotta Be Crazy "と
" Raving and Drooling "の収録は見送られた

新たなアルバムづくりは困難を極めた
「 The Dark Side of the Moon 」で注目を集めた重圧、「 The Dark Side of the Moon 」でやりたいことをやりつくした
という満足感、メンバーの個人的な問題( ウォーターズ、メイスンがそれぞれ離婚の危機を抱えていた )などが原因
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1975年、難産の末の2年ぶりの新作となる「 Wish You Were Here( 炎~あなたがここにいてほしい ) 」を発表
「 The Dark Side of the Moon 」に続く作品ということで注目されたが、セールス面では伸び悩んだ
しかし、最終的には全米・全英とも1位を記録

これ以後、Pink Floydが発表するスタジオ・アルバムは、いずれも大掛かりなコンセプト・アルバムの体裁をとるようになる

バンドは次第にロジャー・ウォーターズのイニシアチブが強くなっていく
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1977年発表の「 Animals( アニマルズ ) 」はコンセプト・アルバムであるが、全5曲中4曲がウォーターズの単独の
書き下ろしであり、ウォーターズがリード・ヴォーカルを担当した サウンド面でも、それまでの幻想的な音作りは影を潜め
よりストレートなロック・サウンドとなった 歌詞はウォーターズ独自の社会風刺が全面的に扱われている

「 Animals 」発表後のツアー" Pink Floyd:In The Flesh "はヨーロッパと北米を跨り、当時のPink Floydでは最大の
コンサート・ツアーとなった このツアーの最終日である7月6日のカナダ・モントリオール公演でウォーターズは前列で
大騒ぎしていた観客に激怒し演奏途中でツバを吐きかけるという行為に及んだ この行為の発想が引き金となって
コンサート終了後、ウォーターズは次のアルバム制作に没頭する

一方、ほかのメンバーはそれぞれのソロ活動を開始し、デヴィッド・ギルモアは1978年に「 David Gilmore 」を発表して
ヒットを記録

1979年11月、2枚組アルバム「 The Wall( ザ・ウォール ) 」を発表
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シングル" Another Brick in the Waii PartⅡ "とともに大ヒットを記録した 2枚組26曲のうち数曲を除きウォーターズが
単独で歌詞・作曲を行っている 共同プロデューサーとしてアリス・クーパーのプロデュースなどで知られるボブ・エズリンが
招かれ、アルバムのレコーディングには多数のセッション・ミュージシャンが招かれている
バンド内ではウォーターズの独裁化が進み「 The Wall 」のセッション途中でウォーターズがリチャード・ライトを解雇
するなど、メンバー間の亀裂は深くなる一方であった ライトは1980年から翌年に行われたツアーにサポート・メンバーとして
参加したが、すでに正式なメンバーではなくなっていたため、同ツアーで発生した莫大な赤字に対する支払いは被らずに済んだ

1983年発表の「 Final Cut( ファイナル・カット) 」は" A Requiem For The Post War Dream by Roger Waters "
( ロジャー・ウォーターズによる戦後の夢のレクイエム ) というサブタイトルからも伺えるように、Pink Floyd名義ではあるが
実質的にはウォーターズのソロ作品である ウォーターズの以外のメンバーであるデヴィッド・ギルモアとニック・メイスンは
レコーディング・セッションにはウォーターズに乞うわれたときにしか動かないという状態だった

当初「 Final Cut 」に伴うコンサート・ツアーも行う予定だったが、ウォーターズがこれを中止させた
このためPink Floyd「は活動停止状態になり、メンバーはそれぞれのソロ活動を行うことになる
すでに脱退していたライトもソロ・プロジェクトを立ち上げた

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1984年ギルモアは「 About Face( 狂気のプロフィール ) 」をウォーターズは「 The Pros and Cons of Hitch Hiking
( ヒッチハイクの賛否両論 ) 」を発表し、アルバムに伴うコンサート・ツアーを行った しかし、両者のアルバムは売り上げ
ならびにコンサートの観客動員は芳しいものではなく、空席の目立つ観客席を前に演奏することが多かった
ギルモアのコンサートは、わずかに黒字を確保したが、ウォーターズは( エリック・クラプトンという大物が居たにも関わらず )
チケットを売り切ることができず、大幅な損失を被ってしまった

1985年6月、ウォーターズはマネージャーであるスティーヴ・オラークとの契約を破棄しようとした
しかし、オラークはウォーターズの意に反し、引き続きPink Floydの仕事を続けたため、ウォーターズはギルモアとメイスンの
同意を取り付けようとするが両者は拒否、結局ウォーターズは同年12月に" Pink Floydは創造性を使い切った "との理由で
バンドを脱退した ウォーターズにとっては、Pink Floydはもはや存在価値をなくしていた ウォーターズは、リーダーである
自分が脱退することでバンドの解散を意図していたが、ギルモアは活動継続を決めた

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ウォーターズは脱退後、映画" 風が吹くとき "のサウンド・トラックを担当した これはウォーターズ自身のアルバム制作のための
ヒントとなり1984年の「 The Pros and Cons of Hitch Hiking 」に続くソロ・アルバムの制作につながった ウォーターズは
プロデュースをボブ・エズリンに依頼したがエズリンはギルモア主導のPink Floydの新作プロデュースのためにこのオファーを
断り、ウォーターズの怒りを買った


ギルモアはメイスンと共にPink Floydの" 解散 "に強く反対してグループの存続を主張しており、ウォーターズの脱退を受け
自ら指揮を執って、新生" Pink Floyd "を立ち上げた ギルモアは多数の外部ミュージシャンを招聘してアルバム制作に
取り掛かった ウォーターズは、このPink Floydの活動継続に激怒して訴訟を起こす ギルモアは訴訟への対応を余儀なく
されたが「 The Wall 」に関する権利をウォーターズに譲ることと、ステージでの" 豚 "のオブジェクトの使用禁止、楽曲使用に
伴う収入の20%強をウォーターズに支払うことなどを条件に両者は和解した この両者の対決は、マスコミやファンの注目の
的となり、「 ローリング・ストーン」誌のPink Floyd特集号はその年の同誌の売り上げナンバー・ワンとなった


新生Pink Floydは1987年に「 A Momentary Lapse of Reason( 鬱 ) 」を発表、大掛かりなツアーを敢行してPink Floydの
復活に印象付けた

ウォーターズも同年にソロ・アルバム「 RADIO K.A.O.S 」を発表した
ウォーターズは「 A Momentary Lapse of Reason 」並びに新生Pink Floydを" Pink Floydの真似事をしただけのニセモノ "と
手厳しく非難した 両者は同時期にアルバムを発表し、アメリカ・ツアーではいくつかの都市でバッティングすることも
あったが、観客動員数や注目度ではPink Floydの圧勝に終わっている

Pink Floydのコンサートは各地でソールド・アウトを記録して多数の追加公演が組まれ、1989年まで続く長丁場となった

1988年には3度目の来日も果たしている

ウォーターズは、1990年にベルリンの壁が崩壊したことを受けて「 The Wall 」の再現コンサートをベルリンで行うことになった
こちらも多数のミュージシャンが集まっての一大イベントとなった これは評判を呼び「 The Wall~Live in Berlin 」として
ライヴ盤とビデオが発売されている 1992年ウォーターズはソロ・アルバム「 Amused to Death( 死亡遊戯 )を発表する
これはウォーターズ得意のコンセプト・アルバムであり、批評家からも高い評価を受けたものの、セールス面では
ゴールド・ディスクに留まる 当時" 200万枚売れたらツアーをやる "と公言していたが、結局この時は実現しなかった


Pink Floydは1993年秋頃に再始動し、1994年に「 Division Bell( 対 ) 」を発表
収録曲" Marooned( 孤独 ) "はグラミー賞ベスト・ロック・インストゥルメンタル部門を受賞
そして再び大規模なコンサート・ツアーに出る

全112公演で、ツアーの総費用は2億ドルにも及ぶものであった
このツアーでは「 The Dark Side of the Moon( 狂気 ) 」組曲を1975年以来19年ぶりに演奏し、このライヴの
模様を収めた「 p.u.l.s.e 」をリリースしたが再び沈黙に入る

Pink Floyd側とロジャー・ウォーターズ側は決定的に対立し、インタビューでウォーターズとギルモアがお互いを非難し合う
ことが多かった しかし1990年末より、両者の距離は少しずつではあるが縮まり始めていった 2000年になって、1979年
発表の「 The Wall 」に伴うツアーの模様を収録したアルバム「 The Wall:Live1980-1981 」を発表

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2001年にはベスト・アルバム「 Echoes:The Best of Pink Floyd( 啓示 ) 」をリリース
ウォーターズを含めた4人で選曲が行われ、Pink Floydにとって初とも言ってもいいベスト盤になった
全英・全米ともに2位を記録し相変わらずの人気を示した
メンバー和解による再結成の期待が高まったが、再び活動のない時期が続く

2003年、長年Pink Floydのマネージャーを務めていたスティーヴ・オラークが他界
ウエスト・サセックスのチチェスター大聖堂で行われた葬儀の際、ギルモア、メイスン、ライトが" Fat Old Sun "と
" The Great Gig in the Sky "の2曲を演奏する
 


2005年7月2日に行われたアフリカ貧困撲滅チャリティー・イベント" LIVE8 "において、ウォーターズを含めた4人による
ラインナップで再結成を果たし、復活ライブを披露 同イベントも屈指の反響を得た

この一時的な再結成の後には、1億ポンド( 約200億円 )で全米ツアーを行わないか というオファーもあったが
ギルモアがこれを断ったことにより実現しなかった 同年、イギリスの" ロックの殿堂入り "を果たす
授賞式にはギルモアとメイスンが参加 ウォーターズは滞在先のローマから衛星中継で参加 ライトは目の手術で不参加

2006年7月7日、かつてのリーダーだったシド・バレットが死去 メンバーから追悼のコメントが寄せられた
バレットの死去に際して再結成の噂が聞かれたが、こちらも実現しなかった
同じく2006年、「 p.u.l.s.e 」のDVD化( 「 驚異 」という邦題がつけられた )に伴いギルモア、ライト、メイスンがイベントに参加

同年5月10日" Arnold Layne "のプロデューサーを務めたジョー・ボイド主催のシド・バレット追悼コンサート" Madcaps
Last Laugh "がロンドンで行れる クリッシー・ハインド、ロビン・ヒッチコック、ジョン・ポール・ジョーンズらと共にウォーターズ
ギルモア、ライト、メイスンが出演する ウォーターズはショーの前半トリでジョン・カーリンを伴い" Flickering Flame "を演奏
後半のトリにギルモア、メイスン、ライトに3人がカーリン、オアシスのベーシスト・アンディ・ベルを伴い" Arnold Layne "を
演奏する 最後に出演者全員で" Bike "を演奏したがウォーターズは現れず、4人の共演は実現しなかった

2008年8月26日、ポーラー音楽賞を受賞する スウェーデンのストックホルムで行われた授賞式にはウォーターズ、メイスンの
2人が参加 2人はカール16世グスタフ国王から盾と花束を渡され、賞金100万クローナが贈られた
メイスンは賞金については" メンバーで分けて、それぞれ寄付する "とコメント

同年9月15日、リチャード・ライトが65歳で死去 9月19日のタイムズによるとライトは2007年12月に" 癌 "と診断されていた

2010年7月、チャリティー・イベントでウォーターズとギルモアが共演
さらにチャリティー・イベントでの再結成も予定されていたが、会場の問題でキャンセルされたと報じられた

2011年5月12日、ロンドンのO2アリーナでウォーターズのツアー「 The Wall Live 」のステージにギルモアとメイスンが出演し
久々に3人揃っての演奏が実現した

同年5月20日、Pink Floydと契約を更新したEMIが" Why Pink Floyd...? "と題された世界的なリリース・キャンペーンを
発表 9月28日のリリースを皮切りに、3回に分けた大々的なリリースを展開する 各アルバムのリマスター盤、ボックスセット
ベスト・アルバム、コレクターズ・ボックスなど、さまざまな形態で販売される

2014年7月7日、スタジオ録音としては20年ぶりとなるアルバム「 The Endless River( 永遠/TOWA ) 」を、同年10月に
リリースするとバンドのオフィシャルサイトで公式発表 1993年~94年にギルモア、メイスン、ライトで行われた
「 The Division Vell 」セッションのアンビエント&インストゥルメンタル・ミュージックをもとに構成されたアルバム
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同年11月7日、ライトへの追悼アルバム「 The Endless River 」をリリース
ギルモアは「 ここれがPink Floydのラストのアルバムになる 」と明言している


2015年、ギルモアはウォーターズを含む再結成を改めて否定し「 Pink Floydは自然消滅した ライトなしではPink Floydの
看板で演奏することはできない 」と、バンドの終結を示唆した


2016年10月6日、Facebookに「 Pink Floydは女性ガサ自由船団を支援するために再結成します 」というタイトルで投稿

再結成を宣言した



>>>>>>> Episode <<<<<<
§ Pink Floydは数多くのアーティストのアルバム・ジャケットを手掛けているデザインチーム" ヒプノシス "のリーダーである
ストーム・ソーガソンは、ウォーターズとバレットの高校時代からの仲間である

§ シド・バレットの後釜のギタリストとしてジェフ・ベックを加入させるという話しが合った 実際にジェフ・ベックにコンタクトが
取れたが折り合いがつかず、デヴィッド・ギルモアが加入することになった 選ばれた理由は「ウマが合ったから」とのこと

§ 1971年初来日の際には、箱根で開催された野外フェスティバル「箱根アフロディーテ」のトリとして登場し、日が暮れて
霧が立ち込める中で幻想的なライヴを披露した このライヴは現在でも伝説の一つとして語り草になっている また、
楽器のチューニングをする音をオリジナルの「前衛音楽」と勘違いした観客が歓声を送ったというエピソードがある

§ ロジャー・ウォーターズ曰くバンド内では「建築家のロジャーとニック」vs「音楽家のデイヴとリック」という構図だったらしい

§ 初期の頃はシド・バレットのルックスなどもあり、ややアイドル的な扱いを受けていた メンバー全員で肩を組んで歩く姿や
笑顔で踊っている模様を収めた映像や写真が残されている メイスンは当時を振り返り「最悪だったよ」と述べている

§ 70年代末期にはパンク・ロックの台頭からオールド・ウェーブとして揶揄されたプログレッシヴ・ロックだが、現代社会への
批判精神を有するロジャー・ウォーターズ時代のPink Floydにはフォロワーも多い セックス・ピストルズ/パブリック・
イメージ・リミテッドのジョン・ライドンはPink Floydからライヴに参加しないかと誘われていたことを明かしている 結局
断ることになったが、現在でもPink Floydとは共演してみたいと語っている
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